1-4.「賃金も雇用も保証します」は無理がある

かつて春闘とはベースアップ(ベア)をめぐる交渉でした。「賃上げ」とは定期昇給とベアの総称です。定期昇給は給与規定で「最低でもこれだけは昇給します」と定めたもので、ベースアップはその最低線を引き上げることです。

 

1980年代半ばまでは高率のインフレが常にあったので、定期昇給をするだけでは、労働者の実質的な賃金(その賃金でどれだけのものが買えるか)が目減りしてしまいます。これを放置しておいては労働者が困窮してしまうので、ベア率について交渉することが定例化しました。企業側も、経営が厳しい時にはベア率をインフレ率以下に抑えることによって、結果的に実質賃金を下げることができました。

 

現在のようにデフレの状況下では、ベースダウンをしなければ実質賃金を下げることができません。まともに定期昇給をしていては、実質賃金が上昇してしまいます。しかしベースダウンというものには問題があります。給与規定で最低線を明確にしているのに、それを下げる方向に変更するというのでは、規定を設ける意味がわからなくなってしまいます。

 

残念ながら、日本企業の多くにとって、実質賃金の引き下げは避けられません。日本のGDP成長率は、1980年代には3.8%でしたが、2000年代は0.58%です。2000年代は明治維新から戦前までの平均よりも低い率です。世界のGDPに占める日本のシェアは、1994年には17.9%でしたが、2008年には7.9%まで低下しました。賃金も経済の水準に合わせなければ、企業が存続してゆくことはできません。

 

実質賃金を引き下げるためには、金額を固定した賃金表を放棄することです。

 

「定期昇給はもう古い」という意見は常にありますが、こと正社員に関しては、定期昇給に代わる賃金決定の仕組みはありません。たとえばアメリカ企業の賃金制度にも定期昇給はあります。

 

定期昇給を温存しながら実質賃金を引き下げるためには、昇給を流動化することです。

 

従来、日本企業が多くは「号」で昇給させていました。たとえば「1号は1,200円で、成績がAなら5号、Bなら4号、Cなら3号昇給する」という具合に、号数で昇給させていました。こういう制度のもとでは、経営がどれだけ苦しくても、平均で4,800円昇給させなければなりません。

 

このような硬直性を流動化させます。その手段として、たとえばポイント式があります。「Bは4号昇給する」ではなく「Bは400ポイント昇給する」としたうえで、1ポイントを何円にするかは、そのつど会社が決められるような規定にします。

 

あるいは係数式という手段もあります。

A→昇給前賃金×0.025×α

B→昇給前賃金×0.020×α

C→昇給前賃金×0.015×α

としたうえで、αはそのつど会社が決められるような規定にします。

 

このような制度でポイント単価やαを下げれば、実質賃金を引き下げることも可能になります。

 

無論、従業員の側からみれば、賃金の安定性は低下します。しかし低成長の経済の中で、「賃金も保証します、雇用も保証します」というのには無理があります。定期昇給をどうしても硬直化しておきたいならば、引き換えに雇用保証を流動化させなければならないことになります。

 

なお、流動化させるといっても限度があります。たとえば1ポイント=1円でも良い、α=0.1でも良いとしたら、定期昇給の制度はあってないようなものです。ポイント単価やαの最低基準値は、給与規定で定めておく必要があります。制度の設計について、詳しいことは後述します。

 

(参考文献)
八代尚宏「新自由主義の復権」(中央公論社、2011年)

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