3-1.やる気を出させる賃金に関する、経済学の答え

2009年から2010年にかけて、ある不動産会社で2年続けて社員による婦女暴行事件が起きました。そのうちの1件は、物件の管理責任者として取り扱いできる合鍵を使って居室に侵入したという、常識では考えられないほど卑劣なものでした。

 

この会社のWEBサイトをみると、社内改革の取り組みとして「新人事制度の導入。売上基準による評価からプロセスを含めた総合評価への移行」ということが書かれています。不祥事を招いた一因として賃金制度もあったと、会社が判断しました。この会社の賃金制度は不動産会社によくみられる、歩合給中心のものでした。新制度では従前より歩合給の比重を下げ、固定給の割合を上げました。

 

売上基準による評価は不祥事を誘発するのでしょうか。残念ながら、それ一色による評価はたしかに不祥事を招く可能性があります。

 

「効率性賃金」という考え方があります。高い賃金を支払うことは社員を誠実に働かせることにつながるという説です。やる気を出させる賃金とはどういうものかに関する、経済学上の答えといえます。

 

「効率性賃金に関するシャピロ=スティグリッツのモデル」という理論によると、道徳や倫理観の存在を当面無視すると、

 

(いま受け取っている賃金-転職した場合に受け取れるであろう賃金)×定年までの残存年数

×不正が発覚する確率

 

が、不正行為から得られる利得を上回っていなければ不正が起きます。

 

簡単にいえば、不正を働いても、失うものより得るものの方が大きいようであれば、不正が起こるということです。ただしここでいう不正とは、横領や背任のような、狭い意味の不正だけでなく、サボリや顧客に対する無愛想さ、手抜きなど、会社にとって好ましからざる行為一般を指します。

 

この式を前記の不動産会社に当てはめると次のようなことになります。まず、歩合給主体である不動産会社はいくらでもあり、所属をどこに移しても収入は変わらないので、「いま受け取っている賃金-転職した場合に得られるであろう賃金」はほぼゼロです。これがゼロだと、「定年までの残存年数」と「不正が発覚する確率」がどういう数字であっても式の値がゼロになります。したがって不正行為が割に合う。・・・と短絡的に考える人が出てきても仕方がありません。

 

では歩合制賃金の人はどんどん不正行為をするべきでしょうか。もちろんそんなことはありません。人の道という問題を無視するとしても、いったん不正行為を働いてしまえば悪評はしつこく付いて回り、いかに腕利きのセールスマンといえども、「転職した場合に受け取れるであろう賃金」が著しく下がってしまいます。不正を働くことはけっして得になりません。

 

最近、賃金水準を切り下げる会社が増えています。そういう会社でも社員の士気が目立って落ちていないのは、いったん失業すると再就職が厳しい状況では、「転職した場合に得られるであろう賃金」が下がっているために、多少「いま受け取っている賃金」が下がっても、転職することの不利益が大きいままだからです。

 

(参考文献)

ポール・ミルグロム、ジョン・ロバーツ「組織の経済学」(NTT出版、1997年)

ジョセフ・E・スティグリッツ著、楡井浩一、峯村利哉訳「世界の99%を貧困にする経済」(徳間書店、2012年)

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