1-3.「賃金は労働の対価」のはずだが

ではどういう改革が求められるのか。それはいわゆる「能力給」から職務給への転換と、金額を固定した賃金表を放棄することだと考えます。

 

いうまでもなく、賃金は労働の対価です。労働基準法は、第11条で「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称のいかんを問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」と謳っています。

 

賃金が労働の対価であるならば、同じ仕事をしていて同じような成績であっても、ベテランと新人で賃金が違うことはどう説明されるのでしょうか。家族手当や住宅手当はどう説明されるのでしょうか。事務系であれ営業系であれ技術系であれ、同期入社であればほぼ同じ賃金であることはどう説明されるのでしょうか。

 

アメリカでは「平等賃金法」という法律で、職務で必要とされる①知識・技能、②精神的・身体的負荷、③責任度、④作業条件の4つが同一である場合の賃金差別を禁止しています。これらの要素が賃金決定の根拠であるとするのが、政府の公式見解であるとみなされています。

 

あるいは、アダム・スミスは『国富論』の中で、賃金格差が生じる要因として①労働内容の快適度の差、②仕事の安定性の差、③必要な知識、技能、技術を獲得することの難易度と要した費用の差、④職業そのものに与えられる信用度の大小、⑤その職業で成功する可能性の差をあげています。

 

興味深いのは、平等賃金法にしてもアダム・スミスにしても、「能力」で決まるべきだとは言っていないことです。これはおそらく、誰がどんな能力を持っているかを測定することが困難であるためだと思われます。事実、日本の賃金制度は、「能力給」と称しながら、能力の測定をほとんど行っていません。

 

明治学院大学の笹島芳雄教授は「中国や東南アジア諸国も含めて,世界各国の賃金制度は労働対価が基準」と言っています。賃金が労働の対価であるならば、それは労働の内容に応じて決めるのが合理的です。

 

(参考文献)
笹島芳雄「アメリカの賃金・評価システム」(日経連出版部2001年)
笹島芳雄「転機を迎える日本型人事賃金管理」(「賃金事情」2011年1月5・20日号掲載)

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