8-1.賞与は日本独特の慣行

賞与の起源は、江戸時代の商家で年末に丁稚(奉公人である少年。「弟子」の転訛という説もある)や手代(丁稚より格上の従業員)に払われていた「餅代」にあると言われます。

 

「お仕着せ」という言葉にこんにちではあまり良い語感がありませんが、やはり江戸時代の商家で、盆に奉公人に支給されていた臨時給与(もっとも当時の奉公人は基本的に無給)のことをこう呼びました。これが夏季賞与の起源であると言われます。

 

賞与という言葉が使われ始めたのは明治時代で、当時は役員と職員にのみ支給されていました。職員はエリートであり、ノンエリートである工員には賞与が支給されませんでした。

 

大正時代には労働組合運動が盛んになり、工員にも賞与が支給されるようになりました。これによって賞与が全従業員に支給されるようになりました。ただし職員と行員の間の支給格差はまだ大きく、平均で7倍以上であったと言われます。戦後になって初めて、職員と工員の支給格差が解消しました。

 

こうした歴史をみればわかるとおり、賞与は日本に特有の慣行です。一銭も支払わなくても労働契約違反でないものが報酬の一定割合を占め、それに期待して半年間も働く日本人の姿は、外国人には理解しがたいものでしょう。アメリカには「マネジメントボーナス」という制度がありますが、これには明確な支給条件があります。

 

(参考文献)

大湾秀雄・須田敏子『なぜ退職金や賞与があるのか』(『日本労働研究雑誌』2009年4月号所収)

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