11-1.「考課」と「評価」

「人事考課」の意味はわかるが、「考課」単独になるとわからないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。考課は人事と切り離して使われることはありません。たとえば「不動産の考課額」という使い方はしません。

 

考課とは非常に古い言葉で、本来は中国の王朝における官僚の評価のことです。正確な年代まではわかりませんが、遅くとも漢王朝にはすでに「考課法」というものがありました。漢は西暦220年に滅びた王朝ですから、日本の有史以前に生まれた言葉であることは間違いありません。漢の考課は3年に1回行われ、3度の考課で処遇を決定しました。つまり処遇が決まるまで9年を要するという、非常に慎重な評価でした。

考課は律令の一部をなすものであり、日本には律令制とともに伝わりました。701年に施行された、日本最古の律令である大宝律令には「考仕令」という名前で、757年施行の養老律令では「考課令」という名前で含まれました。

 

養老律令の考課令は「四善四二最」から構成されていました。「善」とは評価基準のことで、現代語で言えば徳義、清廉、公平、勤勉の4です。「最」は職能要件のことで、42の職位に関するものがありました。そして、いくつの善といくつの最があれば「上の上」や「中の上」というように評価されました。現代の組織と比べても非常に詳細な評価制度です。

 

養老律令は明治維新で廃止されるまで存続しました。それでは日本には1300年におよぶ人事考課の歴史があるかというと、そうではありません。考課令は8世紀にはすでに形骸化が始まり、10世紀には実質的に廃止されました。
現在日本で広く行われている、人の能力や資質を評価するという意味での(したがって目標管理を含まない)評価の原型は、アメリカで開発された「マンツーマン評価法」と「図式評定尺度」にあります。ここでいうマンツーマンとは、いくつかの項目について人と人を比較するという意味で、上司と部下が個別指導のように評価するという意味ではありません。図式評定尺度とは、複数の評価項目に対して、それぞれ1から5などの尺度で採点し、その合計点で評価するというものです。ともに今では当たり前のように行われている方法ですが、考案された当時は画期的なものでした。これらの手法が1930年代に日本に伝わり、これに対して千年ぶりに「考課」という言葉を復活させて訳語としました。経営の話題では、日本語で言えば良いことをわざわざ英語で言う風潮がある中で、あえて古語が使われています。

 

なお考課という言葉は、広義では評価とほぼ同様に使われていますが、狭義ではマンツーマン評価法や図式評定尺度の流れをくむ評価制度だけを指し、目標管理など他の評価手法と区別して使われる場合もあります。

 

(参考文献)

高橋潔『人事評価の総合科学-努力と能力と行動の評価』(2010白桃書房)

 

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